華風玲然抄

華風は玲然として猶清水のごとし

秒速何センチメートルかのスピードで、旅に出た。

 三日坊主にすらならないブログ更新、今回は去る3月30日に栃木岩舟を訪れた時の話。今更感満載な出来事を、記憶を振り絞って話そうと思う。(もう夏も終わりに差し掛かっているぞというツッコミは、どうか君の手元にある冷え切った麦茶とともに飲み込んでほしい。ほら、ますます涼しくなったでしょ。)

 

 何故岩舟を訪れたかと言うと、まあ、単純明快な話、岩舟は新海誠監督作品の『秒速5センチメートル(以下『秒速』と略す)』の舞台の一つで、なおかつ、私が『秒速』に魂を売った人間だということだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 少し余談だが、こういった何かの作品のモデルとなった都市・場所を訪れることは、俗に「聖地巡礼」などと呼ばれていて、今では町おこしの一環として盛り上げられているほどだ。しかし、私はこの呼び方が好きではない。理由は記事が煩雑になることを避けて、また別の機会に委ねることにし、敢えてここでは語らないことにしよう。(記事のネタの生成)

 

※念のための注意※

この記事は『秒速5センチメートル』のネタバレ要素を多分に含んでいる。まだ見ていない・ネタバレしてほしくないと言う方は、今すぐブラウザバックしTSUTAYAに行って本編を視聴してから本記事を読んでいただきたい。(さりげない布教)

 

 また、今回は小旅行中に撮影した写真をふんだんに使っており、記事がかなりな量になっている。読み込みに時間がかかったりするかもしれないが、あらかじめご了承いただきたい。

 

0、はじめに

1,豪徳寺

2、新宿

3、大宮

4,小山

5、岩舟––––駅周辺

6,岩舟––––岩舟山・神社

7,結びに

 

 0、はじめに

 

 では、早速本文に入ろう。

 改めて説明すると、岩舟は『秒速』の第一話にあたる「桜花抄」の中心舞台の一つである。明里が小学校卒業と同時に親の転勤で移り住んだ土地として劇中描かれる。新海監督は現地で入念なロケハンを行なったそうだが、彼は岩舟をどのように見つめ、捉えたのだろう。そういった興味が私を岩舟へと誘った。

f:id:shoka_litera162:20180607183237j:plain

(タイトルテロップ。白地に抜かれたピンク色の文字が印象的である。)

 

  岩舟に行くには、まず所在と移動手段を考えなければならない。『秒速」公開は2007年であるが、作中の時代設定は1994年となっており、貴樹は路線図と時刻表を買い、紙媒体の路線図に赤ペンで書き込んで、ルートを確認している。

f:id:shoka_litera162:20180607183300j:plain

(中学生が一人で電車を乗り継ぎ栃木へ向かう。抱えていたであろう不安は計り知れない。)

 

 私は文明の利器こと携帯を駆使してルートを検索した。本当は劇中と同じ3月4日の同時刻(15:54豪徳寺駅出発)に出かけるつもりだったのだが、予定の都合上やむなく3月30日となってしまった。

 その結果、劇中に登場する115系の列車に乗れずじまいになってしまったが……(同型車は3月16日に引退)。

 

1、豪徳寺

 さて、早速当日の行動を振り返るとしよう。最寄り駅が豪徳寺駅という偶然は勿論無いので、最寄り→新宿→豪徳寺→新宿→大宮→小山→岩舟という、何とも面倒な旅程になってしまった。

 普段全く利用しない小田急線に揺られること数分、豪徳寺駅に到着。映像で見た通りの風景が広がっており、新海監督の描写力に感嘆した。

f:id:shoka_litera162:20180606162012j:plain

(豪徳寺駅、商店街側から)

f:id:shoka_litera162:20180606162138j:plain

(逆側から)

f:id:shoka_litera162:20180606162210j:plain

(改札口。貴樹の旅の始まりの場所である。)

 

 少し余談になるが、第3話の「秒速5センチメートル」の回想で、貴樹が駅で明里らしき人物を見かけハッとするシーンがあるのだが、その駅に似ている駅が小田急線に多い気がした。やはりここのシーンもロケハンで見た光景を基にしているのだろうか。

f:id:shoka_litera162:20180607201938j:plain

(車窓の外を眺める貴樹)

f:id:shoka_litera162:20180606162249j:plain

(豪徳寺駅ホーム)
 

2、新宿

 2度目の小田急線に揺られること数十分、新宿に再び到着。小田急線側の新宿駅に慣れていなかったので、次に何番ホームの何線に乗ればいいのか少々四苦八苦してしまう。

f:id:shoka_litera162:20180607202000j:plain

(新宿駅に着き、周りを見渡す貴樹) 

f:id:shoka_litera162:20180606162317j:plain

(小田急線ホーム)

f:id:shoka_litera162:20180604095619j:plain

(雰囲気を楽しむためSuicaではなく切符で岩舟へ向かう)

 

3、大宮

 新宿から上野を過ぎ、どんどん北へ向かう中、埼玉に入った辺りからお腹が空き始める。貴樹も学校が終わってすぐに電車に乗っているが、成長期の彼にとって数時間何も食べられないことは幾分きつかったろうと思う。(しかも予定から大幅に遅れていることも心身ともに辛いことであったと推察される。)

f:id:shoka_litera162:20180604095657j:plain(何だかよく分からないキャラクターがお出迎え)

 

4、小山

 小山駅到着。(ずっと小山〈こやま〉って間違って読んでいたことは内緒)

 新幹線も通っており、思いの外大きい駅舎でここでも少ししどろもどろ。ホームに降り立って違和感を感じる。自分がちゃんと探さなかったせいもあるかもしれないが、貴樹が一瞬食べようか悩んだ生そば屋が無かったのだ。この後貴樹が明里への手紙を失くしてしまうと考えると、切なくなる。 

 先ほど書いたように、私が乗車した電車は、作中のものと同型車ではない。しかし、ボタンを押さないと開かないタイプの電車で、どことなく似通った部分も多かった。窓ガラスが元々の仕様なのか汚れかはわからないが、かなり燻んだ感じで、それが私をノスタルジックな気分にさせた。

f:id:shoka_litera162:20180607202040j:plain

(雪の中の小山駅舎)

f:id:shoka_litera162:20180604100236j:plain

(澄み渡る青空と真っ直ぐに伸びる線路)

f:id:shoka_litera162:20180607202106j:plain

(ホームに到着し、電車が遅れていることを知る貴樹)

f:id:shoka_litera162:20180606162619j:plain

(見落としていただけで、反対側に生そば屋があったのだろうか)

 

5、岩舟––––駅周辺

 ついに岩舟に到着。劇中で描かれていたのは、駅とその中心地域がメインだけだったので、まずはそこから見て回った。

f:id:shoka_litera162:20180607182941j:plain

(駅舎とホーム。高崎行き側のホームから。)

f:id:shoka_litera162:20180607181553j:plain

(同ホーム。奥側から。)

f:id:shoka_litera162:20180607181512j:plain

(同ホーム。手前側から。)

f:id:shoka_litera162:20180606162703j:plain

(同ホーム。中頃から。)

f:id:shoka_litera162:20180604100336j:plain

(駅名標識)

f:id:shoka_litera162:20180607202442j:plain

(一晩共に過ごした後、貴樹を見送る明里。)

f:id:shoka_litera162:20180607182934j:plain

(筆者近"影")

f:id:shoka_litera162:20180607181610j:plain

(同ホームから高崎方面を向いて)

f:id:shoka_litera162:20180607181624j:plain

(跨線橋を下から)

f:id:shoka_litera162:20180607181722j:plain

(跨線橋の上から高崎方面を向いて)

f:id:shoka_litera162:20180607182921j:plain

(反対側、小山行きホームから駅名表示板)

 

 さて、散々駅内を撮影したところで、さすがに空腹の限界である。私は待合室で用意していた弁当の包みを開いた。

f:id:shoka_litera162:20180607202227j:plain

(用意した弁当。おにぎりが少し潰れてしまっている。)

 そう、『秒速』を見た方は気付かれるかもしれないが、この弁当のメニューは、明里が貴樹のために作っていたお弁当そのままなのである。

f:id:shoka_litera162:20180607202252j:plain

(劇中のお弁当の描写。新海監督の描く料理はまことに美味しそうに描かれている。)

 若干おにぎりの具が違ったりしたが、まあそこは仕方なし。作中通りの分量(2人分)で作ったので、かなりのボリュームだったが何とか完食。午後の活動に向けて英気を養った。

f:id:shoka_litera162:20180607202208j:plain

(待合室で貴樹を待つ明里)

f:id:shoka_litera162:20180607181729j:plain

(実際の待合室。待合室だけは岩舟駅ではなく青森の三厩駅がモデルらしいので、映像中の様子とはかなり異なる。)

f:id:shoka_litera162:20180607183021j:plain

(イスに座った位置から)

f:id:shoka_litera162:20180607182716j:plain

(岩舟駅全景)

f:id:shoka_litera162:20180607181751j:plain

(横から)

f:id:shoka_litera162:20180607181806j:plain

(横から。夕焼けバージョン。)

f:id:shoka_litera162:20180607202401j:plain

(雪を見て駆け出す明里)

f:id:shoka_litera162:20180607181743j:plain

(映画公開後に道路の舗装が行われたらしい)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 それでは、ここで第一回「エモい写真コンテスト」〜

 「エモい」という言葉の暴力のもと、今回撮った写真の中で気に入ったものを紹介するよ!

f:id:shoka_litera162:20180607182909j:plain

(夕焼けの中の公衆電話、とってもエモいね!) 

f:id:shoka_litera162:20180607182846j:plain

(空き地に打ち捨てられたサインポール、エモみが深いね!)

f:id:shoka_litera162:20180607182805j:plain

(同じく捨てられたアイス用の冷凍庫、あ^〜エモさの音〜)

f:id:shoka_litera162:20180607182749j:plain

(エモいというよりか構図が好きだよ!)

f:id:shoka_litera162:20180607182641j:plain

(竹林の中のトラック、そうさ、100%エ〜モいって感じだね!)

以上深夜テンションコーナーだよ!!(この部分は深夜1時に執筆)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 はてさてお腹が満腹になったところで、駅周辺も少しぶらついてみた。

f:id:shoka_litera162:20180607182838j:plain

(空が青い(小並感))

f:id:shoka_litera162:20180607182828j:plain

(岩船山、遠くから見ると船の形に見えることが名前の由来だとかなんとか)
f:id:shoka_litera162:20180607202533j:plain

(彼らが見た幻か、冬に散り舞う桜の花びら)

f:id:shoka_litera162:20180607202513j:plain

(結局二人は近くの小屋で一晩を過ごす)

f:id:shoka_litera162:20180607182816j:plain

(上の情景に少し似ている?)

 

6、岩舟––––岩船山・寺

 劇中では駅とその周辺しか描かれていないが、それだけ見て帰るのも味気ないので、駅近くの岩船山に登ることにした。

f:id:shoka_litera162:20180607181916j:plain

(登山口にある桜の木。訪れた時は丁度満開の時期だった。)

f:id:shoka_litera162:20180607181931j:plain

(昼間の太陽に輝く桜の花)

f:id:shoka_litera162:20180607181950j:plain

(山頂へ続く階段、運動不足の体には少々応えた。)

f:id:shoka_litera162:20180607181957j:plain

(階段を登り切ってふと振り返ると、展望が開けていた。)

f:id:shoka_litera162:20180607182005j:plain

(階段の石の合間に生えた花。儚い生命を感じる。)
 

 そうこうしているうちに山頂に到着。

 まずは山頂手前の岩船山高勝寺を参拝した。

f:id:shoka_litera162:20180607182619j:plain

(高勝寺遠景。桜の木々に囲まれていて美しい。)

f:id:shoka_litera162:20180607182435j:plain

(高勝寺縁起)

f:id:shoka_litera162:20180607182357j:plain

(山門。県指定の重要文化財だそうだ。)

f:id:shoka_litera162:20180607182557j:plain

(本殿。ここにも桜の木が)

f:id:shoka_litera162:20180607182224j:plain

(立派な三重塔。これも県指定重要文化財らしい)

f:id:shoka_litera162:20180607182050j:plain

(別アングル三重塔)

f:id:shoka_litera162:20180607182034j:plain

(更に別アングル三重塔、桜の木との共演) 

f:id:shoka_litera162:20180607182153j:plain

(少し登って上から眺めた高勝寺。地蔵菩薩が見守っていた。)

f:id:shoka_litera162:20180607182140j:plain

(山頂の桜。全く人はおらず1人で写真をパシャパシャ撮影。)

f:id:shoka_litera162:20180607182129j:plain

(同上)

f:id:shoka_litera162:20180607182105j:plain

(山頂にあったオブジェ?恐らく不動明王の劔だと思われる。逆エクスカリバー。)

一通り山登りを楽しんだところで、そろそろ下山。
f:id:shoka_litera162:20180607182634j:plain

(下山中の参道。どこまで続いていきそうな奥行きを感じた。)

 

 参道を下りながら、ふと和歌を詠じた。

 

岩舟の遠きに春も来たりけり 花咲く山の経らずもがもな

ちりつもる桜の花のくれなゐに 二つ染みぬる墨染めの袖

 

  その後、駅で数分待って私は帰路に就いた。

 町は桜の盛り、秒速何センチメートルかの速さで花びらが散っていた。

 

7、結びに

 さて、数ヶ月も前の出来事を振り返って来たわけだが、『秒速』の舞台となった岩舟という土地を一部分ながら知ることができたのではなかろうかと思う。

 本来ならば、ここで新海誠監督作品の一つや二つに言及して、何かしらを語りたいところだが、自分の表現力・勉強量の不足を自覚し控えたいと思う。

今後もう少し勉強を重ね、色々と考察を述べていきたい次第である。

 

 

では、そろそろこの記事も人生もお終い、『秒速』のエンディングとともにお別れです。さようなら。

www.youtube.com

ペンネームについて

 

 ブログをちゃんと続けられない橘、第2回はペンネームの話。

 

まあ、大体の人は知っていると思うけれど、「橘華織」というのはペンネームであって、まず何故ペンネームを使うのかという話から始めようと思う。

 

理由の第一は、本名が好きじゃないから。これはご先祖様と命名してくれた両親に少なからずの申し訳なさを感じるけれども、好きじゃないものは好きじゃないんだから仕方ない。苗字は結構ありふれたものだし、下の名前もそこまで愛着が持てない。どうせ書き物をするなら綺麗な名前で書きたいと感じ、ペンネームを作ろうと思ったわけだ。

 

第二に、何か書き物をしている時(特に小説)、自分ならざる自分を感じるからだ。少し陳腐な言い方だけれど、執筆中は何かが憑依するというかそれに近いものを感じている。であるならば、やはり書き物をしているのは本名の私ではなく、別の名を持つ私なのだ。(絶望先生で言うところの「ゲッペルドンガー」)というわけでやはりペンネームを作ろうという考えに至ったわけだ。

 

 

さて、理由を話したところで、現在のものに行き着くには実はいくつかの変遷があった。

 

1番最初に作ったのは「夏岡櫻葉」

確か中学卒業の頃だったと記憶している。(その時期に携帯を買い与えられ、メアドを作り、今でもその名前がメアドの中にあるので軽く黒歴史状態)

由来だが、まず「夏」は「夏目漱石」から取っている。同時期に「坊っちゃん」などを読んでいた影響だろうか。「岡」は「岡本太郎」から。これも夏目漱石同様当時はまっていたから。「櫻」と「葉」は、それぞれ「春=櫻花」・「秋=紅葉」を意味していて、四季折々の風景を書き表したいという意思の表れ。(本当は裏の意味がもう一つあるのだが、ここでは語るに忍ばれる。)

 

結局このペンネームは中3の頃から高2の頃まで使用していた。

当時書いていた小説のプロットには、拙い字で「夏岡櫻葉」と書いてあり、それはそれでいい思い出。

 

その後、高校で漢文を習ううちに漢詩も詠んでみたいと思うようになって作ったのが、「紅文暎」と「茜空如華」。

どちらも唐人風の名前で、漢文専用のペンネーム。ペンネームというよりどちらかというと雅号の方がしっくりくるかもしれない。

まず、「紅文暎」の由来。私、恥ずかしながら茶道を少々嗜んでいて、御名前(≒雅号)を頂ける機会があり、(まあ簡単に言えば免許皆伝みたいな感じだろうか)その御名前は師匠から一文字、もう一文字は自分で考えて付けられるのだが、それで出来たのが「灝文」という名前だったのだ。これを漢文用のペンネームにしようと思ったのだが、「灝」という字があまりしっくり来ず、結局同音の「紅」を採用し、あとは唐人風の3文字の名前にするために適当に「暎」をくっつけたというわけだ。(中国文学に明るい人からすれば、ツッコミどころが多いかもしれないが、そこはスルーで。)

「茜空如華」は、自分で作った漢詩の中で一番好きな一節で、「茜空華の如し」と、まあ、そのまんま読むわけだが。これも少し裏の意味があるが割愛。

 

高校生当時は漢詩にはまっていたが、韻はちゃんと踏めていないし作数もそんなに多くないので、結局このペンネームも現状使っていない。

 

次にペンネームを考えたのは高校卒業少し前の頃で、「藤原翔華」というものだ。

これはTwitterの最初期に使っていたハンドルネームなので、古参のフォロワーさんはご存知かもしれない。由来は単純なもので、小説よりも和歌(短歌)の方が実作数が多い→和歌といえば平安王朝→平安王朝の歌人といえば藤原、という具合だ。「翔」という字は、実は本名の一部分で「どうせなら本名の片鱗ぐらい残すか」という考えが当時あったので、取り込んでみたものだ。「華」という字は、個人的に好きな言葉で私の文学観的なものを端的に表わしているつもり。

 

さすがにペンネームをホイホイ変えるものじゃないなと考えて、これで決まりと思っていたのだが、諸事情でTwitterのハンドルネームを変えることになり、それに伴ってまたペンネームを変えることに。

 

そこで誕生したのが現在の「橘華織」というわけだ。

「橘」の名字は、当初「藤原のつぎだから源平藤橘にならって」という極めて安直な理由で付けたのだが、後付けの理由として「昔を思い出す”よすが”」という意味合いも込めた。これも私の文学観的なものの一つとして「ノスタルジックなもの」を掲げているからだ。「華織」は音の響きだけで決め、初め「かをり」とひらがな表記にしようと思っていたのだが、「華を織る」という詩的表現に惹かれ、この漢字を当てた。

 

現時点ではこの橘姓を結構気に入っているので、当分は変えないだろう。

 

と、まあ、ペンネームの変遷を話してきたわけだが、特にオチがあるわけでもないので面白くはないだろう。こんな感じで今後もブログを更新していくと思うので、どうぞよしなに。

 

 

 

 

では、そろそろこの記事も人生もお終いです。さようなら。

 

(注1:ブログという文体に慣れていないからちょくちょく変な口調があるかもしれないがどうかご容赦を

注2:今後ところどころに小ネタが挟まれるかもしれないけど、基本的に出典は『さよなら絶望先生』と『さよなら絶望放送』なので、皆さんぜひ読み(聴き)ましょう

注3:このブログは面白さを特に考えずただ私の脳内を垂れ流しているだけなので、何も期待しないように)