ペンネームについて
ブログをちゃんと続けられない橘、第2回はペンネームの話。
まあ、大体の人は知っていると思うけれど、「橘華織」というのはペンネームであって、まず何故ペンネームを使うのかという話から始めようと思う。
理由の第一は、本名が好きじゃないから。これはご先祖様と命名してくれた両親に少なからずの申し訳なさを感じるけれども、好きじゃないものは好きじゃないんだから仕方ない。苗字は結構ありふれたものだし、下の名前もそこまで愛着が持てない。どうせ書き物をするなら綺麗な名前で書きたいと感じ、ペンネームを作ろうと思ったわけだ。
第二に、何か書き物をしている時(特に小説)、自分ならざる自分を感じるからだ。少し陳腐な言い方だけれど、執筆中は何かが憑依するというかそれに近いものを感じている。であるならば、やはり書き物をしているのは本名の私ではなく、別の名を持つ私なのだ。(絶望先生で言うところの「ゲッペルドンガー」)というわけでやはりペンネームを作ろうという考えに至ったわけだ。
さて、理由を話したところで、現在のものに行き着くには実はいくつかの変遷があった。
1番最初に作ったのは「夏岡櫻葉」
確か中学卒業の頃だったと記憶している。(その時期に携帯を買い与えられ、メアドを作り、今でもその名前がメアドの中にあるので軽く黒歴史状態)
由来だが、まず「夏」は「夏目漱石」から取っている。同時期に「坊っちゃん」などを読んでいた影響だろうか。「岡」は「岡本太郎」から。これも夏目漱石同様当時はまっていたから。「櫻」と「葉」は、それぞれ「春=櫻花」・「秋=紅葉」を意味していて、四季折々の風景を書き表したいという意思の表れ。(本当は裏の意味がもう一つあるのだが、ここでは語るに忍ばれる。)
結局このペンネームは中3の頃から高2の頃まで使用していた。
当時書いていた小説のプロットには、拙い字で「夏岡櫻葉」と書いてあり、それはそれでいい思い出。
その後、高校で漢文を習ううちに漢詩も詠んでみたいと思うようになって作ったのが、「紅文暎」と「茜空如華」。
どちらも唐人風の名前で、漢文専用のペンネーム。ペンネームというよりどちらかというと雅号の方がしっくりくるかもしれない。
まず、「紅文暎」の由来。私、恥ずかしながら茶道を少々嗜んでいて、御名前(≒雅号)を頂ける機会があり、(まあ簡単に言えば免許皆伝みたいな感じだろうか)その御名前は師匠から一文字、もう一文字は自分で考えて付けられるのだが、それで出来たのが「灝文」という名前だったのだ。これを漢文用のペンネームにしようと思ったのだが、「灝」という字があまりしっくり来ず、結局同音の「紅」を採用し、あとは唐人風の3文字の名前にするために適当に「暎」をくっつけたというわけだ。(中国文学に明るい人からすれば、ツッコミどころが多いかもしれないが、そこはスルーで。)
「茜空如華」は、自分で作った漢詩の中で一番好きな一節で、「茜空華の如し」と、まあ、そのまんま読むわけだが。これも少し裏の意味があるが割愛。
高校生当時は漢詩にはまっていたが、韻はちゃんと踏めていないし作数もそんなに多くないので、結局このペンネームも現状使っていない。
次にペンネームを考えたのは高校卒業少し前の頃で、「藤原翔華」というものだ。
これはTwitterの最初期に使っていたハンドルネームなので、古参のフォロワーさんはご存知かもしれない。由来は単純なもので、小説よりも和歌(短歌)の方が実作数が多い→和歌といえば平安王朝→平安王朝の歌人といえば藤原、という具合だ。「翔」という字は、実は本名の一部分で「どうせなら本名の片鱗ぐらい残すか」という考えが当時あったので、取り込んでみたものだ。「華」という字は、個人的に好きな言葉で私の文学観的なものを端的に表わしているつもり。
さすがにペンネームをホイホイ変えるものじゃないなと考えて、これで決まりと思っていたのだが、諸事情でTwitterのハンドルネームを変えることになり、それに伴ってまたペンネームを変えることに。
そこで誕生したのが現在の「橘華織」というわけだ。
「橘」の名字は、当初「藤原のつぎだから源平藤橘にならって」という極めて安直な理由で付けたのだが、後付けの理由として「昔を思い出す”よすが”」という意味合いも込めた。これも私の文学観的なものの一つとして「ノスタルジックなもの」を掲げているからだ。「華織」は音の響きだけで決め、初め「かをり」とひらがな表記にしようと思っていたのだが、「華を織る」という詩的表現に惹かれ、この漢字を当てた。
現時点ではこの橘姓を結構気に入っているので、当分は変えないだろう。
と、まあ、ペンネームの変遷を話してきたわけだが、特にオチがあるわけでもないので面白くはないだろう。こんな感じで今後もブログを更新していくと思うので、どうぞよしなに。
では、そろそろこの記事も人生もお終いです。さようなら。
(注1:ブログという文体に慣れていないからちょくちょく変な口調があるかもしれないがどうかご容赦を
注2:今後ところどころに小ネタが挟まれるかもしれないけど、基本的に出典は『さよなら絶望先生』と『さよなら絶望放送』なので、皆さんぜひ読み(聴き)ましょう
注3:このブログは面白さを特に考えずただ私の脳内を垂れ流しているだけなので、何も期待しないように)